キリスト共に歩む 召しに相応しく歩む
2018/1/21
講師:水野 明廣 師
聖書箇所 エペソ4:1-3、ヨハネ17:11
「さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」(エペソ4:1-3)
キリストの愛に捕らえられたパウロ、そして文字通り獄中の囚人となったパウロが、エペソ教会のクリスチャンに懇願しているのは、謙遜と柔和の限りを尽くして御霊によって一致することです。
●わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。(ヨハネ17:11)
私たちが一つとなることが、イエス様の願いであり祈りでした。私たちが本当に謙遜であれば、傷つくこともつまずくことも無くなります。私たちが一致するために最も大切なことは、自らが謙遜を選ぶことです。
一致が大切な理由:
①一致の祈りは神の奇跡の手が動く最高の力
●まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。(マタイ18:19)
②一致のある所に神の祝福が注がれる
●見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。(詩篇133:1)
●最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。(Ⅰペテロ3:8-9)
●わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。(ヨハネ17:20-23)
私たちが謙遜な時に聖霊が働かれ、一つ心になることができます。幸せな人生の秘訣は本物の謙遜を身に着けることによるのです。
③サタンに隙を与えないため
サタンは大声で叫んでも退きません。しかし、謙遜な者には手出しができません。
●しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。(ヤコブ4:6-7)
悪魔の特徴的な性質は高ぶりです。私たちが高ぶる時、悪魔が入ってくるのを許してしまいます。私たちは高ぶり易い者です。他の人と比べて、ねたんだり卑屈になったり、また自慢したり人を裁いたりします。
●ペテロは彼を見て、イエスに言った。「主よ。この人はどうですか。」イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」(ヨハネ21:21-22)
●私たちは、自己推薦をしているような人たちの中のだれかと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりしているのは、知恵のないことなのです。(Ⅱコリント10:12)
謙遜になれば比較することから自由になります。比較することは愚かなことなのです。本当に謙遜になれば怒りを持ち続けることはありません。私たちは自分に権利があると思っています。しかし主の前では無きに等しい者、罪人の頭です。神から遠く離れた私たちが一方的な恵みによって救われ神の子とされたのです。この恵みを忘れないでください。
●互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。(ローマ12:16-18)
本物の謙遜は人を引き上げます。
●こうしてあなたは、御救いの盾を私に下さいました。あなたの右の手は私をささえ、あなたの謙遜は、私を大きくされます。(詩篇18:35)
神に選ばれ召された私たちはイエス様の謙遜を学び主に従って歩みましょう。キリストの性質を身に着ければ一致することが容易になります。
●キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。(ピリピ2:6-8)
本物の愛は自分を捨てることです。いのちを与えることです。召された私たちはキリストと共に生きる者です。私たちがイエス様の様にへりくだり、上着を脱いで互いの足を洗い合う愛の教会となることをお祈りいたします。