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なぜ祈るのか

 

「人が主に向くなら」 (I コリント 3:16)

神の御子であり全能者であるイエス様は、祈る必要はなかったように思われますが、福音書には、むしろよく祈られたことが記録されています。それは私たちに対する模範の為だとも言えます。

祈りによって弟子を選び、祈りによって5千人給食をなし、十字架につけられる前には、ゲッセマネの園にて祈りをもって苦しみと悲しみの中で、父なる神様へ従い通されました。

また、時として徹夜の祈り、断食の祈り、早朝の祈りをされました。このように、イエス様ご自身が身をもって、祈りの生活をされてそのご生涯を貫かれたことを、聖書を通して知ることができます。

これは後に続く私たちが、祈りを持って神様に近づくように模範を示されたのです。

祈りは、『神様との会話また呼吸のようなもの』だとよく言われます。日本人には、むしろ「拝む」という言い方のほうが慣れているかもしれません。

そして、祈りといえばかしこまった雰囲気でしなければならず、何か特別な行為のように考えてしまうのではないでしょうか。

ある人は、新年に神社やお寺などにお参りして、賽銭を投げ入れて「家内安全・無病息災・商売繁盛」を願い、かしわ手を打って拝むことのように考えているかもしれません。
しかし、神様に祈るということは、決して形式的なものや、単なる習慣やしきたりではありません。そこには真剣な態度と共に、言いようのない親しみや安心感や、また慰めや期待に満ちあふれた、神様との深い交わりがあるのです。

祈りは、何か決まり切った祈祷文や、おまじないを唱えるものではなく、毎日の問題や悩みをごく普通の言葉で、頼りがいのある優しいお父さんに相談するようなものなのです。

これは誰にでも出来ることです。

「クリスチャンライフ みことばシリーズ」

宗教法人 神の家族キリスト教会
クリスチャンライフ

製作: 牧師 禹 浩鉉