村仲レポート

 
 神学

 神学(しんがく、英:Theology)は神および関係諸概念についての理論的考察を行う学問。ギリシア語 theos (神)および logos (学問)の合成語を翻訳したもの。
 日本の思想史研究の慣例では神学の語をもってキリスト教神学を指すのが一般的であるが、これは他宗教における神学を否定するものではない。他宗教における神学は「イスラム教神学」などと宗教名を冠するのが普通である。

 深学

 深学とは神学をはるかに超える(何が超えるかは諸説あるが・・・)超難解な人間関係上の実践的学問であり、あまりの難解さゆえに誰も手をつける(手をつけられる)学者がいない状況にある。このような難解な深学に果敢に酷寒の地カナダで挑戦されている村仲宣教師にはただただ頭が下がる思いである。
 

恐妻論:

 奥さんを恐れ、ただひたすら奥さんに従順に従うふりをしながらひそかに奥さんを自在にコントロールしようという非常に高度な実践深学。ただし一歩誤ると、そのまんまの状態に陥る危険性が非常に高い。ただしこれが確立された暁には、日本の教会で多々見受けられる御主人方の教会及び家庭における地位の低さを大幅に解消できる希望もある。
 クリスチャンに実生活上の手本を多々示されたイエス様もこの件に関しては全く手本を示されなかったので、暗中模索状態での研究課題であり村仲牧師に大いに頑張っていただきたいところではあるが、実践面で村仲牧師も大失敗していると言う噂もあり予断を許さない状況にある。
 未確認の情報としては、「神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」(箴言12:13)とのメッセージを寝ぼけながら聞いていたある男が、「かみさんを恐れよ。かみさんの命令を守れ。これが夫にとってすべてである。」と聞き違えたことに端を発した偶発的錯誤深学の一種であるとの学説もある。
 ”恐妻”のルーツは旧約聖書の創世記の記述にあるように、アダムがエバに誘惑されて以来常に男は女を心のうちでは恐れるようになったサタンがもたらした「のろい」であるとの説がある。

 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。(創世記3:6)

 女はサタン(蛇)の誘惑に負けたが、男は女の誘惑に負けてしまった。この世の君(サタン)の巧妙な誘惑に勝てなかった女は人間的に考えればまだ弁解の余地があると思われるが、自分のあばら骨から作られた女の誘惑に負けてしまった男は・・・これに味を占めたサタンがこれ以来、男を女で誘惑するという必勝戦術を編み出したとの説がある。
ヨイショ論:

 「ヨイショ!」と掛け声をかける話ではなく、人を煽て上げ、よい気持ちにさせることでその人の心を和ませ、教会に関心を向けさせ、教会に行ってみようという気を起こさせ、やがては教会で奉仕するようになり、気がつくと教会の立派な柱として活躍していた、というように人材育成、はては教会成長のための究極的実践深学である。
 少なくとも教会の教役者にとっては必須の深学であり、これなくして教会の成長は絶対にあり得ないと言われている。これを知らない牧師がいくら教会に人を集めても、所謂「ざるに水を入れる」状態となり、人が一旦教会にやって来たとしても程なく去っていくという状態を決して打破できないと考えられる。この理論を忠実に実践することにより、教会において、家庭において、職場において、学校において、地域において良い人間関係を構築し持続できるとものと思われる。
 福音書のどこを探しても、イエス様が出来の悪い弟子たちを叱責する記述は見当らず、むしろ人々を常に慰め励ましてくださったように、このイエス・キリストの人々への接し方こそがヨイショ論の目指す究極の姿と考えられている。
 このヨイショ論の実践において村仲牧師は卓越した才能を示され、師匠の水野牧師をすでに上回ったとの評価がなされております。村仲牧師に掛かると、誰でも自分がものすごい才能の持ち主のように思わされてしまうとのもっぱらの評判。