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「勝利を手にする”教会”」

- 2017年11月5日 -

講師:大矢 頭 牧師
聖書箇所 黙示録 2:7

「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」』」

 聖書の中には勝利が約束されています。私たちは聖書を通して「勝利する」ということを見聞きし、信仰として持っています。しかしその一方で、実生活の中で勝利し続けているかというと、必ずしもそうではないという現実があるのではないかと思います。私たちの人生には調子の良い時もありますが、沢山の問題や試練、困難の中で敗北を感じるという経験をします。しかし、聖書の御言葉は勝利すると約束している。この勝利というのは、思う通りに行かない現実の中で漠然と「いつか勝利するだろう」という遠い期待のようなものではなく、主の御業に対する信頼の中で信仰と確信を持って握るべきものなのです。

 私たちは今日、神様の約束を体験するわけではないかもしれません。しかし、私たちの人生の中にはいつも神の勝利とはこういうものだという確信がある。だから、私たちは困難の中でも失望しない。今日拝読した黙示録2:7には「耳のある者は聞きなさい」と書かれています。今日も聖霊は私たちに対して語っていて下さる。それを私たちは耳を傾けて聴き、それを知っている者となる必要があります。

 神様は私たちに神の約束の成就を贈り物として与えて下さっています。贈り物というのは一度送られたのなら、それは受取人の物となります。しかし、実際に贈り物を受け取るまではそれを自分のものとして味わう事は出来ません。

 私たちに与えられている神の約束もまた同じようなものです。私たちは神の約束を私たちの人生のプロセスの中で受け取りに行く歩みをする必要があるのです。私たちは自分の人生をかけて神の約束を勝ち取っていくために、人生の中で様々な労苦、忍耐を体験します。黙示録のストーリはクリスチャンに対してそれを受け取りなさいという事について書かれています。

●「わたしは、あなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。(黙示録2:2-5)

 神様はエペソの教会がこのようなものと戦って勝利を得るようにと言われています。教会というと私たちはクリスチャンライフということを考えてしまうかもしれませんが、聖書から言うなら私たち一人一人が神にある教会です。ですから、私たちは神の教会として日常生活の中での様々な労苦や忍耐をイエス様と共に歩んでいって、その中で心が折れない、信仰が折れないように歩んでいくこと、それが私たちの戦いです。また私たちが信仰生活の中で真理とは違う、間違った教えを信じて握ってしまうという事が起こります。そのような惑わしが多くある中にあって御言葉を通して真理が何であるかをしっかりと学び、知るということもまた私たちが戦うべき戦いです。

 では、私たちがこのような戦いをどうやって戦っていけばいいのでしょうか。そのために私たちは武器を持つ必要があります。霊的な戦いとは、私たちがこの地上で神を知らない人々の中で神の栄光を輝かす事を意味しています。それは私たちの日常の中で実際に起きることです。会社で仕事をしている時に、私たちはいつも自分がやりたいことばかりを出来るわけではありません。時には自分のやりたくない事でもしなくてはなりません。その時に、嫌々やるのか、それとも主の前に喜んでそれを行い、その事を通して人々の間で証をたてるのかどうか、これが一つの霊的な戦いです。あるいは家庭の中で家族に仕える事を嫌々やるのか、あるいは愛を持って喜んで仕えることを通して神の栄光を表すのか、ここにも一つの霊的な戦いがあります。

 このような霊的な戦いの中で私たちは武器を持って戦いに臨む必要があります。そのために御言葉を宣言することが大切でしょう。また祈ることも必要です。しかし、そのような事と共に、私たちが構える武器として最も大切な鍵となるものは、私たち自身の本質がどうあるかという事です。私たちの本質が生まれながらの自然な人ではなく、私たちの本質がキリストと同じになっていく事が最も大切な事です。

 イエス様はあらゆる困難の中でも勝利を得る事の出来るお方です。そのようなお方が私たち自身の中で形作られていく事を通して、私たちは霊的戦いの中で勝利を治めていく事が出来るようになっていくのです。そのような本質は私たちはどうすれば身につけていけるのでしょうか。

●ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ 5:1-5)

 私たちの中にキリストのご性質が形作られるためには、私たちの信仰にしっかり立つことが必要です。私たちがキリストにある信仰と希望を抱いた上で、あえて私たちが日常的に起きてくる患難の中に身を置いていくときに、その事を通して私たちの内にキリストの品性が形作られていきます。さらに、キリストのご性質が形作られる事を通して、私たちは確かに勝利を得て、約束を得ていくという確信を得ていくのです。キリストが約束されたものを私たちが得るためには、私たちの内にキリストのご性質が形作られなくてはなりません。そして、そこから生まれてくるキリストの品性が私たちの生活に現れてくる時、私たちは日々の信仰生活の中であらゆることに勝利を得ていくことが出来るのです。私たちはこの事を大切にしなくてはなりません。そのために、私たちは信仰生活・教会生活と日常の生活というものを一つとして歩んでいく事が必要です。

2017年11月15日更新

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