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「神の国に生きる」

- 2017年10月29日 -

講師:神戸 聖志 牧師
聖書箇所 ルカ17:20-21

「さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなた方のただ中にあるのです。」」

 ここでパリサイ人は何故イエス様に「神の国はいつ来るのか」と尋ねたのでしょうか。それは、この頃の時代背景をみてみるとわかってきます。ユダヤ人達は長い間外国の支配(バビロンーペルシャーギリシャーローマ)の下で、自国を持たない不安定さに加え自由に生きる事も信仰の自由や権利の保証さえないもない中で生きていかなくてはならない苦しみを味わいながら生きていたからです。

 そんな中でもユダヤ人達はダニエル書7章に書かれている預言を握って希望を持って生きていました。その希望とは、救い主が来られて神の国がこの地上に打ち建てられ、そこで自由に生きる事ができるようになるというものでした。パリサイ人はこの神の国の到来のしるしを見逃すことなく、いち早く同胞に知らせる義務があると思っていたのです。

 イエス様がこの地上で語っておられた神の国の福音というのは、イエス様がこの地に来られたことによって、神の国の支配がこの地上において始まっているというものでした。病を癒し悪霊が支配していた領域を奪い返すという奇蹟の業を人々の前で見せることによって、神の国とはどういう国なのかをこの地上で現し神の国がすでに到来したことを証しされたのです。「神の国はあなた方のただ中にある」とおっしゃり、イエス様とパリサイ人が共に居るこの場所に神の国は来ていると教えられたのです。

●二人でも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。マタイ28:20また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。(マタイ18:20)

 イエス様はすでに天に昇られて私達の目には見えません。けれども、御名によって共に集まり賛美し御言葉を聞き礼拝が捧げられているその場所が神の国なのですとおっしゃっておられるのです。ですから、私達が礼拝を捧げるとき神の国の中で生き礼拝していることになるのです。

●なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。(ローマ14:17)

 パウロはここで、信仰の強い人が(なんでも食べていいと思っている人)信仰の弱い人(偶像に捧げられた肉は食べないという人)を裁くことは神様の御前で正しいことでしょうか。信仰の弱い人が傷ついているなら、その正しさのうちには「愛」がないのではないでしょうかと言っています。

 神の国で大切にしなくてはいけない事は、救いにあずかったときに主から賜った義と平和と聖霊による喜びです。神の国の現れである教会の中で、また兄弟姉妹の関係の中でこの賜物を現して生きる事ですと言っています。

 神様から義と認められた方を考え方や感じ方や表現の仕方ないが違うというだけで裁くのではなく聖書に書かれている愛をもって神様の御前で正しいと認められた方を受け入れ平和な関係をつくりだし喜びをもって共に神の国を現していくことこそが大切なことなのですと言っています。

 私達は現在確かにこの世に生きています。けれども、私達の国籍は天にあると書かれている(ピリピ3:20)のですから、神の国の国民として神の国を現す勤めが委ねられています。神の国の国民としての生き方が期待されていることを知る必要があるのではないでしょうか。

 愛する天のお父様、御国がきますように。御心が天でなされるように地にもなされますようにお祈り致します。主なる神様に聞き従い聖霊様に満たされて御委 ねして歩むことができますようにイエス様の御名によってお祈り致します。

2017年11月9日更新

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