トップページへ神の家族キリスト教会

 

「キリストと共に生きる8ー神の栄光をほめたたえる者となる」

- 2017年9月10日 -

講師:水野 明廣 師
聖書箇所 エペソ 1:11-12

「この方にあって私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。みこころによりご計画のままをみな行う方の目的に従って、私たちはあらかじめこのように定められていたのです。それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。」

 私のしているこの時計は時間を知るためにあります。また皆さんが座っている椅子は座るために作られました。同じように私たちは神の栄光のために造られたと聖書は語っています。
本当に知っているという事は行動が伴うということだと昔から言われています。知っていても行わない事は知らない事と同じだとある方は言っています。そのような意味でパウロはクリスチャンの人々に自分がキリストによって救われたという事はどういう事なのかをしっかり「知って」欲しいと願ってこの手紙を書いたのです。

 この世界を創造された愛と憐れみの偉大な主が私たちを選んだと書かれている。この選ばれるというのはこの世の感覚からすると、何か特別に優れた功績や才能を持つ人だけが得ることの出来る栄誉です。しかし、聖書の選びは全く違います。むしろこの世においては決して人々の目に止まらないような小さな者を、生まれる前から御国の世継ぎとして選んでくださっていると言います。凄いことだと思います。

 私は皆さんと一緒にこのような恵みに預かった者として、神に選ばれた者に相応しく神の栄光を褒め称える者となるということについて見ていきたいと思います。

 私は主への賛美というものがどれほど素晴らしいかを是非みなさんに学んで知っていただきたいと思っています。皆さんが聖書を読むときにどういう人が主をほめたたえたのかが沢山書かれています。

●そのとき、いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木は実をみのらせず、オリーブの木も実りがなく、畑は食物を出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。(ハバクク 3:17-18)

 ハバククの生きた時代は非常に苦しい時代でした。イチジクやオリーブというのは過酷な環境の中でも実を実らせる植物です。しかし、そんな植物さえ実を実らせることが出来ないほど過酷な状況の中にあるんです。しかし、その中でハバククは主を喜ぼうと言っているんです。私たちの主なる神様は私たちの生活が行き詰まった時に私たちと同じように行き詰まってしまうお方ではありません。主なる神様は私たちが例え行き詰まりの中に身を置いたとしても、そのことで動揺されません。私たちの主なる神は変わらない愛と憐れみと慈しみをもって変わらず私たちと共に居てくださる方です。

●あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。(ゼパニヤ 3:17)

 なんと主の方が私たちの中に居てくださる。私たちは主によって与えられている余りにも素晴らしい恵みを持ちながら、サタンの惑わしと誘惑に晒されて、自分の経済が、才能が無いという事でいつも右往左往して、与えられている恵みに十分に心を留めることが出来ていない現実があります。しかし、イエス様の前にあって私たちの弱さは恵みであると聖書は言います。パウロは誇るなら私は自分の弱さを誇ると言います。私たちはこの聖書の御言葉を固く握り、御言葉に従って主の素晴らしさを褒め称える事が大切であり、必要な事です。主なる神様がみなさんと一緒にいてくださるという事がクリスチャンに与えられている最も大きな祝福です。みなさんがどれほど酷い状況の中にいたとしても、その状況の中でも主が皆さんと一緒にいてくださると約束してくださっている。その事をもっと御言葉によって意識して欲しいのです。そして、その約束と恵みの故に主をほめたたえる者となるのです。

●彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、主は伏兵を設けて、ユダに攻めて来たアモン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち負かされた。(II 歴代誌 20:20-22)

 ヨシャパテが圧倒的な敵軍によって包囲された時、彼らは主に言われて賛美を捧げたのです。すると、敵は打ち倒されました。イスラエルの神は賛美を住まいとされると詩編に書かれています。私たちはつい不平とか不満を口にしてしまいます。しかし、その不平と不満の言葉を口に出す時、そこに主は働かれません。試練や困難の中で皆さんが主をほめたたえる時に、主は働かれます。主は良いお方です。ぜひ皆さん、どんな時でも主をほめたたえて行きましょう。

2017年9月21日更新

先頭へ

戻る