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「真理は魂の祝福となる-2 神の言葉(レーマ)を受け取る」

- 2017年8月20日 -

講師:禹 浩鉉 師
聖書箇所 ローマ10:17、マタイ4:3-4

 キリスト教の信仰とは、御言葉を体験することです。十字架の救い、罪の赦し、いやしなどの御言葉は、単なる宗教的教え、観念ではなく、私たちが現実に体験するものです。これらはすべて、神の愛から出ています。私たちの信仰生活は、この神の愛に応答することです。

 天地創造の神が、ご自分の御子を罪の生贄として十字架に掛けられました。このことは聖霊によらなければ悟ることができません。
 「ベン・ハー」の著者であるルー・オーレスは、キリスト教に敵対する者でした。彼はキリスト教の間違いを証明するために、聖書を熱心に研究しました。しかしある時、一つの御言葉「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。(ルカ23:24)」これが彼の心を捕らえ、彼はイエス様を「私の主。私の神。」と受け入れました。神の御言葉の前では、人間の哲学、思想はかすんでしまいます。私たちを生かすのは、神の御言葉なのです。

 御言葉にはロゴス(神が語られた御言葉)とレーマ(今、この瞬間、神が語ってくださる御言葉)があります。

●そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。[ローマ10:17]
●すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」[マタイ4:3-4]


 ここでの”ことば”はレーマを指しています。レーマは私たちに生きる力と希望を与えます。神が今、この私に語って下さる御言葉(レーマ)が与えられてこそ、信仰で歩むことができます。聖書の御言葉を知識として知っているだけでは、力がありません。聖霊によって霊の目、霊の耳が開かれ、レーマが与えられるなら、これが活力となり、生き生きした信仰生活を歩む力となります。

 「主よ、今語って下さい。」とレーマを求めて祈りましょう。主が語って下さることを期待して聖書を読みましょう。

 サウルとダビデの決定的な違いは、主に聞く心の有無にありました。サウルは主に聞かず、自分の考えに従い、やりたいようにやりました。ダビデは、失敗もありましたが、主に聞き従う心を持っていました。

●幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。[詩編1:1-3]

 これは命がけで主の御言葉に従って生きたダビデの証です。神は主権者です。神の御心が私たちの願い、思いとは違うこともあります。自分の思いを捨てて、神の前にへりくだって素直にレーマを受け取り、従う時、祝福されるのです。

 祝福される信仰生活のカギは
 @レーマを受け取る
 A聖霊様をいつも認めることです。
どんなつらい絶望的状況にあったとしても、それでも聖霊様は私たちと共におられます。

 私たちを決して捨てることのない、私たちの内に働いておられる聖霊様をいつも認めましょう。

 レーマを求める時、聖霊様の働きが不可欠です。人間の熱心だけでは、信仰生活を続けることはできません。レーマが私たちの魂に入って来て、聖霊様が働いて下さる時、私たちは勝利することができます。主に信頼すること以外に私たちの生きる道はありません。信仰が持てない時でも、主に期待することだけはやめないでください。聖霊様を求め続けてください。主の前に静まって、主に聞く時間を持ってください。レーマが来ると確信が来ます。確信が来るまで忍耐強く祈り続けましょう。

 どんなに苦しくても、主の前で祈り続けるなら、魂が癒され、新しい信仰が与えられ、もう一度立ち上がることができます。生きた神の言葉であるレーマを受け取ることが祝福された、勝利の信仰生活のカギです。

 『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの”レーマ”によって生きるのです。』

2017年8月31日更新

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