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「神の民」

- 2017年7月16日 -

講師:竹田 亮一 師
聖書箇所 Uコリント 4:1-6

「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。[Uコリント4:6]

 人は、自分が慣れ親しんだ文化と異なるもの、経験したことのないものに対して拒否反応があります。クリスチャンは、福音が正しい、素晴らしいと信じているので、他の人に伝えるなら、その人も必ず自分と同じように素晴らしいと感じて、すぐに福音を受け入れてくれるに違いないと思い込んでしまいがちです。

 クリスチャンにとって「神が王である」とは当たり前の表現ですが、世の中の人々にとっては、これは理解しがたい言葉です。宣教する時、キリスト教以外の文化の人々に福音を押し付けてはいけません。一人の人が、福音を受け入れるということは、理屈で信じる以上の”はっと”気付かされるという体験が必要です。神ご自身が、その人の心の中に光を照らして悟らせて下さらなければなりません。これが聖霊の働きです。

 一人の人が、自分の慣れた文化、環境から出て、クリスチャンになるということは、その人にとって喜びであり、天においても大きな喜びが沸き起こることです。しかし同時に、大きな苦しみ、悲しみもあることを覚えてください。傷つく人々がいることを忘れてはいけません。その人々を尊重し、配慮してください。伝道、宣教はクリスチャンが必ずすべきことです。しかし、言葉だけで説得しようと無理強いしてはいけません。神が、人々の心の中に光をさして下さるように祈ることが重要です。

 ”パッション”情熱という言葉の本来の意味は”苦しみ”です。何かに情熱を持つということには苦しみも伴うのです。イエス様の私たちに対するパッションには、十字架という大きな苦しみ、犠牲がありました。情熱には犠牲が伴います。代価が付いてきます。クリスチャンになるということは、それでも神に従うというパッション(情熱)です。このパッションは、神が私たちの心の中に光を照らして下さる時に生まれます。光がさすとき、真理が明らかにされ、”はっと”気付くのです。”はっと”する時、神が私たちに何かを語っておられることがよくあります。この聖霊の啓示の働きが大切なのです。私たちが福音を語る時、その人の人生、命に関わることを語っているのだという自覚を持ってください。軽々しく語ったり、押し付けたりしてはなりません。私たちを通して、神ご自身が働いて下さらなければなりません。宣教も神の働きです。教会は神ご自身のもの。教会は、神のためにある。私たちは、神の民です。

2017年7月24日更新

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