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「今が一番幸せです」

- 2017年5月7日 -

講師:川本 泰彦 師
聖書箇所 詩編23章

 今日みなさんと一緒にとても有名な箇所をお読みしました。今日は「今が一番幸せです」というテーマで御言葉を取り次がせていただきます。詩編23編はダビデの詩編と呼ばれています。聖書の中でダビデほど様々な経験をした人はいないと思います。彼は王様として非常に豊かなところを経験しましたし、同時に信じられないほど大変な所も経験しました。そのダビデが、「主は私の羊飼い。私は乏しいことがない」と言っているのです。そして23:5を見ると、面白いことが書かれています。

●私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。 (詩編 23:5)

 「私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ」てくださると言っているのです。ダビデはどんな時でも主が共にいてくださる事を知っていたんです。だからダビデは自分の置かれている状況に関わらず、自分は幸せだと知っていたのです。これは信仰の告白です。ダビデはただこの事を信じていただけでなく、この信仰を行動によって表して生きた人でもありました。ヤコブの手紙には信じているならその信仰には行動が伴うと書かれています。私たちが本当に信じているなら、私たちの口の告白と同時に行動が伴うと聖書が入っています。

●さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。(ヘブル 4:14)

●約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。(ヘブル 10:23)

 主は私たちに御言葉を語り続けることの大切さを教えておられます。今日は三つのポイントを見ていきたいと思います。1つ目は、主と共にいるという意識、2つ目は、困難や敵をものともせず主に焦点を合わせる思い。3つ目は主が私たちのすべての必要を備えてくださるという信仰の3つです。
 主は目に見えないお方です。しかし、確かに私たちといつも共に居てくださいます。私たちはその事をいつも意識することが大切です。私たちが遣わされていく場所、学校、職場、家庭においてその事をいつも意識する必要があります。

●私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。(詩編 16:8)

 ダビデは王として時には宮殿に、時には戦場に立っていました。しかし、ダビデは自分が立っている所がどこであっても、自分の前に主を置いて歩んでいました。彼は何処にいても、自分は主と共にいることを意識していたのです。この姿勢を学ぶことが大切です。

●心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。(箴言 3:5-6)

 これが私たちが、「私は幸せ者です」と告白することが出来るために大切なことです。聖霊様が私たちの人生を導いてくださいます。聖霊様の導きに従うなら、主が私たちを正しい道へと導いてくださる。ダビデはこのことをよく知っていました。私たちが聖霊に導かれて歩むために必要なことは何でしょうか。一つは聖書を毎日読み、生活の中に当てはめるということ。次に祈ること。そして最後に、いつも主の前で純粋な思いでいることです。私たちの心が主の前に純粋なものでなければ、私たちは主の導きを知り、それに従うことは出来ません。これが聖霊様の導きに従って歩むために必要なことです。
 二番目のポイントへと進みたいと思います。二番目のポイントは、主に焦点を合わせるということです。

●私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。(詩編23:5)

 ダビデの視線、ダビデの思いは敵には向いていません。ダビデの思いは敵の前であっても食事を整えていてくださる主に向いています。私たちがどんな状況であったとしても、主は私たちと共におられます。その事を私たちに知って欲しいと主は願っておられます。主はいつも良いお方です。主は私たちの置かれている状況をよくご存じです。どれほど大変な状況を経験していたとしても、主は良いお方です。

● わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(エレミヤ 29:11)

 主が立てておられる計画は、将来と希望を与える計画です。これは信仰告白です。私たちは国籍を天に持っている者です。だから地のことではなく、天に焦点を合わせて生きる必要があります。
 最後のポイントは、主は私たちの必要のすべてを満たしてくださる方であるという事です。主が私たちを、私たちの必要を満たすところへと導いて下さいます。

●主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。(詩編 23:1-3)

 主は導かれるところへと着いて行く時、主は私たちの必要を備えてくださいます。主は私たちを豊かに祝福してくださるお方です。そう聞くと、私たちは経済や物質的な必要が満たされることを考えてしまいます。勿論、そのことも大切です。しかし、主が与えてくださるものの中で最も大切なものは主の臨在、主が私たちと共に居てくださるという事です。
 私の知り合いの方が会社を経営していて、その方がある時、証を話してくださいました。会社を始めたばかりの頃は経済的な必要が非常に沢山あり大変だったそうです。しかし、そのような状況の中で主に縋り、主に祈り始めた時に必要がことごとく満たされたと言っていました。しかし、その方はこうも言われました。私が主に依り頼み始めた時一番求めたのは必要が満たされることではなく、主ご自身を求めることだったと。主よあなたが必要です。あなたが共に居てくださいと祈り求めた時、主はさらに必要までも満たしてくださったと言っておられました。
 もっとも祝福されている人はいつも主を身近に感じ、主が共にいることを受け入れている人です。主が私たちの必要を満たしてくださいます。だからその主に信頼を置いて歩むことが大切です。
 主が共にいるという意識、主に焦点を合わせる思い。主が私たちのすべての必要を備えてくださるという信仰を持って行こうではありませんか。

2017年5月12日更新

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