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「キリストの恵みで成長する29 ―常に新しさを大切にする」

- 2017年4月9日 -

講師:水野 明廣 師
聖書箇所 II コリント5:17

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

 クリスチャン生活における一番大切な特権は新しい創造ということです。私たちクリスチャンは、イエス様の新しいいのちの恵みを受けています。新しい立場、身分が与えられているのです。そのことが書かれているのが今日、みなさんと一緒にお読みしたII コリント5:17の御言葉です。しかしその一方でエペソ 4:24ではこうも言われます。

●真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。(エペソ 4:24)

 もしみなさんが外国に出かけられたら、皆さんは、「エッ」と思うような事でもその国のやり方に合わせなくてはいけないことを知っていましたか。例えばカナダに行くと車を運転しようと思うと日本とは反対の方を走らなくてはいけないんです。皆さんがどれだけ、「日本は左側通行だから」と言っても日本と同じように車を運転しようとしたら、自殺行為ですよ。新しい所では、新しい法律があるんです。私たちはイエス・キリストを信じる信仰によって、私たちは神の子にされたのです。御国の世嗣ぎとされているんです。その私たちには全く新しい身分、新しい立場が与えられている。その新しさこそ、クリスチャンの特徴なんです。キリスト・イエスは新しいあわれみと恵みを朝ごとに注いでおられるんです。それは皆さんがイエス・キリストをもうすでに十分知っている、恵みも分かっていると言わないために、私たちの信仰生活が停滞することがないためです。クリスチャンの信仰生活には停滞ということはありません。本来、信仰は前に向かって進むということしかないんです。
 イエス・キリストは私たちが去年の聖霊体験や恵みで満足しないようにして欲しいと願っておられます。
 パウロはエペソ 4:24で、クリスチャンに対して新しい人に相応しい歩みをして欲しいと言っているのです。私たちクリスチャンには、このような新しい身分と立場が与えられていますが、救われて新しくされた瞬間に、「ああ自分は新しくされたんだ」と思える人はなかなかいません。なぜなら、新しい人に相応しい生活、あゆみというのは自動的に起きてくるものではないからです。じゃあ、新しい人に相応しい歩とはどのようなものでしょうか。エペソ4:25を見るとこのように書かれています。

●ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。(エペソ 4:25)

 嘘言う人になるな、ということです。イエス様を信じて、新しく造られたのだから見えを張ったり、見せかけのものを捨てましょうということです。偽りというのは私たちの人生を破壊します。夫婦でも親子でもどちらか片方が嘘を言ったら、それは家族の関係に良くない影響を与えます。この世を支配する力が何かご存知でしょうか。偽りの君です。日本の社会は本音と建前の社会と言いますね。神様は偽ることのできないお方です。私たちは光の子として生きる者として召されています。25節はその事が書かれています。次の26節にはこう書かれています。

●怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。(エペソ 4:26)

 怒りの問題です。詩編の37編を見ると、社会に不正が蔓延していることを嘆く歌が書かれています。でもその後で、憤ったまま、怒ったままではいけないと書かれています。私たちが憤りを抱えたままで生きることは、心の中に地雷を抱えて生きるようなものです。ある日、突然爆発して、私たちの人生に大きな痛手を与えます。だから私たちは憤りを捨てて、あわれみの心を持って赦す者となる必要があります。もし私たちがこのような問題を自分の内側に抱え続けるなら、その時、私たちは悪魔に足場を与えているのだとパウロは言います。

●悪魔に機会を与えないようにしなさい。(エペソ 4:27)

 せっかく新しい人を着ているのに、私たちが盗んだり怒ったりをしている人は必ずサタンに足場を奪われて、自分の願いを踏みにじられて、とんでもな所へ落ちていってしまう。

● 先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。(イザヤ 43:18)

 私たちはかつて受けた悪い言葉や仕打ち、嘘を記憶から完全に忘れ去ることは出来ません。神様が素晴らしい方であるのは、神様は赦して完全に忘れてしまわれる方であるということです。私たちは自分が過去に経験した様々な事をある意味で一生引きずって生きなくてはならない存在です。それは私たちの記憶の中から完全に消えることがないからです。でも私たちは、そのような過去を持ってはいるけれど、神様が朝ごとに与えてくださる恵みとあわれみに目を留めて、過去の出来事を思い出さないようにせよと聖書は言っているのです。私たちが思い出すべきことは、主が良くしてくださった事だけです。

●見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。(イザヤ 43:19)

 イエス様はどうしても私たちに新しい人として歩んで欲しいと願っておられます。私たちは主によって新しい者とされています。主は私たちをもっとあたらしくしたいと願っておられます。新しい身分と立場が与えられているので、そこに合わせる者となっていきたいのです。

●しかし私は悩み、痛んでいます。神よ。御救いが私を高く上げてくださるように。私は神の御名を歌をもってほめたたえ、神を感謝をもってあがめます。(詩編 69:29-30)

 パウロとシラスは牢獄の中で鎖に繋がれている時にも主に賛美をささげていました。私たちはつい、「鎖が取られたら、牢獄から出されたら主に賛美をしよう」と考えてしまいがちです。主は既に私たちを新しい者としてくださいました。この時代の中で、皆さんの思う通りにならないことが沢山あると思います。しかし、私たちは恵みによって主が新しい人生の中に迎え入れられたことを覚え、また今年主が私たちのために新しい考え、経験を与えて下さることを信じて、ますます主を信じて、主に感謝と賛美を捧げて行きましょう。

2017年4月22日更新

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